(下の方に内容に触れた記述あり)
先に、和訳における登場人物の名前について。英語で読んで初めて認識したが、中心的人物の一人である「アナ・ファン」は、原文では「Anna Fang」である。本作には名前にいかにもな含意があるものがあって、「トム・ナッツワーシー」は「Tom Natsworthy」だったりするが、これはその最たるものだと思う。
「Fang」、すなわち「牙」。強く、猛々しく、おどろおどろしい……。ストーリーが進むにつれ、それがぴったりの名前だと、思い返してみて分かったが、それなら初めから「ファング」と書いてくれと恨みがましさを感じた。英語の発音的に「グ」を入れるかどうかという選択はあるだろうが、「ファン」では軽すぎて(スペイン風の「Juan」かと思っていた)、元の含意をスポイルしているように思う。
ちなみにタイトルについては、冒頭に英国の詩人のマシュー・アーノルドの詩が引用されている。
Ah, love, let us be true
To one another! for the world, which seems
To lie before us like a land of dreams,
So various, so beautiful, so new,
Hath really neither joy, nor love, nor light,
Nor certitude, nor peace, nor help for pain;
And we are here as on a darkling plain
Swept with confus'd alarms of struggle and flight,
Where ignorant armies clash by night.
Matthew Arnold, Dover Beach
何となく、先の見えない世界でもがいて生きていくことについて言っているのは分かる。それはこのシリーズの世界、そしてその後の世界に共通しているのだと思う。
さて、本作ではトム・ナッツワージーとレン・ナッツワージーの親子、故郷に戻ったセオ・ンゴニほかの3部からの人物が引き続き登場し、大方の予想通り生きていたへスター・ショウ(ナッツワージー)とストーカー・シュライクも出てくる。1部の人物も再登場するので、1部を再読しておいた方がいいかもしれない。
自分がこのシリーズを好きかと問われれば、少し考えてから首を振るだろうと思う。もちろん文句なく面白く、わくわくさせる世界なのだが、各人物が早とちり、勘違いで勝手に動き回り、誰かのために取った行動をその誰かがふいにし、せっかく立てた計画は失敗しない方が少なく、しっちゃかめっちゃかになって転がっていく。それでも終わり良ければ……ではあるが。
ストーリーの糸はきっちりまとめられた。が……大団円かといえば、そうとも言えない。最後の糸はやはりトムとへスター、アナ・ファング、だったものに戻ってくる。トム、アナ・ファング、そしてへスター……。それぞれの見せるものが胸を突く。
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